裁判官をしていた40年のうち、その4分の1の期間、刑事事件を担当しました。しかし、弁護士になって刑事事件はとてもその任に堪えないと考え、国選弁護も希望しませんでした。ところが、いろいろな事情で、刑事事件を2件引き受けることになりました。過失運転致死罪(歩行者死亡事故)と、外国人による覚せい剤密輸入事件でした。判決はともに有罪(前者は執行猶予付き、後者は求刑の8割弱の実刑と7割強の罰金刑)でした。ここでは本筋から少し外れますが、それぞれに気になったことを少しだけ述べてみます。
過失運転致死罪の件ですが、被告人は前方不注視の過失を認め、かつ自己の運転行為により被告人が死亡するに至ったこと、すなわち因果関係も争いませんでした。ある事情から示談成立には至っていませんでしたが、被告人車には対人無制限の保険がかけてあったので、執行猶予を付するに格別の障害もなく、公判も早期に終わる見通しをつけていました。ところが被害者の遺族の方が参加され、何期日かにわたって公判期日が開かれることになりました。そのこと自体に異存はなかったのですが、ひとつ問題が生じました。第2回公判期日の前に、検察官から、当初予定になかった「被害者の遺体写真」を証拠申請したいというのです。私は、「本件では必要ないではないか」というと、「遺族側がどうしても申請してほしいので申請だけさせてほしい」「裁判所もおそらく却下すると思われる」といって申請を撤回しようとしません。私は、裁判員裁判における「死体写真」の証拠利用についての消極傾向なども根拠にして(事件と無関係に呼び出される裁判員とは違い、事件を惹起した被告人の場合は悲惨な結果を直視すべきだとの意見もありえますが、受傷状況を証拠として採用する必要性に乏しい。)、採用反対の意見を述べたのですが、裁判所は、私の意見を「傾聴に値するが」とリップサービスはしつつも証拠は採用しました。私は、むろん不服で、証拠採用に異議を述べ、異議棄却決定にも納得しませんでしたが、強くは争わずあっさり引き下がりました。これ以上裁判所と対立するのは、被告人にとって百害あって一利なしと判断したからです。弁護人がそのような気持ちを抱くことがあることを、実際に刑事弁護を担当してはじめて知りました。
後者は、英語以外の言葉を母語とする外国人が被告人の事件で、約1.5キログラムという量から営利目的があったとされて、裁判員裁判となりました。紙面の都合で、簡単に述べますが、当該被告人は日本語が全くできないので、その通訳に苦労がありました。さすがに起訴状には翻訳文がついていたようですが、そのほかの書類、たとえば、公判前整理期日への召喚状などには翻訳文が一切つかなかったのです。われわれは拘置所での接見の際、なにはともあれ、被告人に送達された書類を翻訳することからはじめましたが、貴重な時間があっという間にすぎていき、実質的な弁護のために必要な時間を確保するのに少なからず苦労をしました。裁判所にその点の配慮を願いましたが、制度的な保障はないとして一蹴されました。いま、裁判員裁判の円滑な実施のため、裁判所は裁判員の皆さんに大変な心配りをされています。私はそれに異議を差し挟むものではないですが、そうした配慮間の一端を被告人に差し向けてもらってもいいのではないかと、思いました。法廷で裁判員を慮んばかって懸命に訴訟指揮をされる裁判長であれば、相応の手当をするについてそれほど難しくはないのではとおもったのですが・・・。