弁護士になって半年が経過しました。事務所内でお話したことですが、私の毎日は、弁護士の仕事、法科大学院の教員として仕事、自分の趣味ないし関心を中心とした事柄に費やす時間の3つに大別されますが、最後の分は当然として、前二者も楽しくすごすことをモットーに、充実した生活を送っています。以下、ある日の出来事を紹介します。
私は、訟廷日誌をもっておらず、小さな手帳で代用していますが、その日は、午前に簡裁の調停とそれに先立つ依頼者の方との打ち合わせ、午後1時から2時半まで弁護士会広報委員からのインタビュー取材、午後3時半から6時半まで、ある会社の幹部役員を訴えた代表訴訟に端を発する第三者委員会への株主側委員としての出席と、珍しく、当該日欄に書ききれないほど日程が詰まっていました。午前の調停を終え早目に昼食をすませて弁護士会館に戻ると、偶然、一階ロビーでランチタイムコンサートが開かれていました。市民の方でほぼいっぱいでしたが、厚かましくも、本来の席ではないソファーに座ってフルートの演奏を楽しみました。いい時間を持つことができたと気分をよして、11階に登ってインタビューに臨み、これを無事終えて、エレベーターを待っていると、折から、大勢の市民の方がおりてこられ、その中に旧知の西弁護士がおられました。なんでも、大阪地裁で審理中の原爆認定訴訟が結審し、その報告集会を同階で開くとのこと、どうしようかと逡巡する暇もなく、「北」ならぬ「西」弁護士に拉致され、次の瞬間には報告集会の熱気の中に座っていました。かつて大阪高裁で、裁判官として同様の集団訴訟に関与したことがあり、原告ないし遺族の方々の現況報告と判決に期待する思いの披歴、原告ら代理人(懐かしい顔ぶれに往時を思い起こしていました。)の厚労省の仕打ちに対する怒りと運動継続の決意表明に接して、胸を熱くするとともに、いまだにこうした訴訟を余儀なくされている原告ないし遺族の方々らの労苦を踏みにじる厚労省をはじめとする国の姿勢に対して、新たな憤りを禁じざるを得ませんでした。求められるまま、私も若干の感想を述べさせていだたきましたが、私がおこがましさを自覚しつつもあえて発言したのには、原爆認定訴訟がひとつの機縁となって私を当事務所に導いてくれたN弁護士(本来なら当然臨席されているのですがやむを得ない事情で休まれていました。)の訴訟にかける熱意を代弁したい気持ちがあったからかもしれません。
弁護士会館でうろうろしていると、いろんな出会いがありますね。